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『RYOのイカサマ師日記1』

kamipro.comの『韓流MMAニュース』でも書きましたが、メールでリクエストもあったので、『DEEP 42 IMPACT』でベルナール・アッカに勝利したRYOの『MFIGHT』でのコラムを紹介したいと思います。コラムの内容は本人の半生を振り返る内容になっていますが、それ以外にもZERO1のエース格に成長した弟・崔領二とのこと、同じ在日韓国人である秋山成勲に対しての思いなど、興味深い部分もあります。

※※※※※※以下『MFIGHT』から引用※※※※※※

『RYOのイカサマ師日記1』“韓国と日本? それでもオレはオレ”

オレの名前はチェ・ヨン(日本でのリングネームはRYO)だ。日本の名前は崔領(さい・りょう)。日本で生まれ、日本で育った。いわゆる在日韓国人3世、“ザイニチ”だ。韓国の慶北霊泉出身の祖父が日本の九州大分に渡り、我家の日本生活は始まった。

知っている人はわかるだろうが、オレの職業は総合格闘技家である。時々バイトで土方をしたりもするが、それはあくまでも副業であって、自分の生活で最も重要な職業は格闘家である。2006年まで韓国のスピリットMCで活動し、2007年からは日本に帰って選手生活を続けている。

何日かのあいだに、この許されたこの空間を通して、在日韓国人として自分の思いや自分の生い立ち、そして韓国と日本について話してみようと思う。この文がおもしろく読める読者は奇人中の奇人だろう。

オレは1978年、日本の大阪で生まれた。下には弟と妹が一人ずついる。弟はあの有名な! プロレスラーの崔領二だ。もちろん知らない人も多いだろうが、日本では少し有名な人物だ。

日本に住む同胞は、大きく民団(在日本大韓民国民団)系列と朝鮮総連(在日本朝鮮人総連合会)系列に分かれている。もちろんこの区分に大きな意味があるのではない。皆さんがよく知っている在日同胞の格闘家、朴光哲や金泰泳は朝鮮総連系列の学校を卒業した。

だが、オレは日本の学校で日本の教育を受けて育った。100%純粋なオリジナルの韓国の血が流れるオレが、日本の学校で日本式の教育を受けて育った理由は「祖国を捨てて日本人になるため」ではなく、単に「学校が家から近いから」だった。

オレが通っていた学校には一学年に在日同胞が二、三人はいた。もちろん多くの日本人の中にあって自分が在日であることを隠したがる場合もあるが、韓国名を日本式に変えて生活をしても、その臭いはどこかに出る。金本、国本、金山といった姓はほとんど在日同胞のそれだった。

オレの場合「高山領」という日本名を使っていた。だが、ある時から“崔領”という名前に変えた。崔領はオレの韓国名、チェ・ヨンをそのまま日本語で読んだものだ。

名前を変えた理由は父によるものだった。父は時々おかしな(?)本を読んでいたが、その影響を受けやすい。その日も一人で本を読んでいて、突然オレを呼ぶと「領は今日から韓国人の誇りを持たなければならない」と言って、大真面目に「おまえはこれから高山ではなく“崔領”だ」と言ってオレの名前を変えた。

その言葉を聞いた時、オレはとくに悩むこともなく、そのまま「はい」と答えてしまった。日本の学校で日本の教育を受けていたが、当時のオレは「オレはオレ」と思うだけで、毎朝太極旗(韓国国旗)を眺めて涙を流したりすることなどなかった。いまでもそれは同じだが、当時のオレは“祖国”や“民族”、“在日”という言葉より、“女子生徒”や“友人”という言葉のほうにもっと興味があった時期だった。

多くの人は、やはりオレがいじめられたと思うかもしれない。もちろん酷い時にはそういうケースもあるが、オレはそうではなかった。日本の友だちとよく一緒になって勉強したり、遊んだりした。

もちろん、多くの在日韓国人の子どもたちは日本人の中にいると多少萎縮する傾向もあるが、オレは自分をカッコいいと思った。なぜか? だってオレは彼らとは違うから。担任の先生も差別や人権について勉強された方で、クラスの友だちに「領を差別したら承知しないぞ」と言ってくれた。そして「差別はバカなことだ」と強調した。

もちろん、若干のいたずら混じりの冷やかしはあった。オレの名前である崔は日本語ではサイを意味する。それで何人かの子はオレの鼻を指さして、「おまえにはどうして角がない?」とからかったりもした。これがギャグコンサート(韓国の人気番組)なら、たった一週間でクビになるレベルの冗談で、結局これはただの冗談で終わった。そんないたずらのために、オレが友人とケンカすることはなかった。当時、オレはかなり外向的な子だった。いまでも自分はバカだが、その時もバカに近かった。いまよりもう少しおしゃべりでうるさいバカだった。

当時、我家は大阪で商売がうまくいく焼き肉屋を経営していた。商売人の家でオレと弟たちは、みな平凡に育った。在日韓国人・朝鮮人が出てくる映画のように「民族の自尊心」のために同級生とケンカをしたり、アイデンティティの混乱を経て「親父! オレはなんで韓国人なんかに生まれたんだ」と反抗することは絶対になかった。

オレは本能的に強い人に弱く、弱い人に強いので、ケンカはほとんどせずに育った。もちろん高校の時、ケンカが強ければ女子生徒にもてる場合もあった。オレも一時は「どうしたらもてるのか?」と悩み、ジェルを塗ったり香水をつけてみたが、効果はほとんどなかった。

※※※※※※※

『RYOのイカサマ師日記2』 

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