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ジュエルス、石岡 vs 藤井
2009.07.11 Saturday 23:24 | 日本格闘技
ジュエルスを観させてもらった。結果はこちらで。
お目当ては、やはりメインの石岡沙織 vs 藤井恵戦。個人的にはこの試合に向けて主催者が“世代交代”と煽るほどの機運の高まりを感じられておらず、どちらかというと藤井選手が石岡選手に胸を貸す“チャレンジマッチ”という印象を持っていた。だが、実際に試合を観てみると、こちらが勝手に抱いていたイメージを覆す白熱した試合となった。
石岡選手はかなり藤井恵対策を積んでいたのだろう。タックルに来られてもしっかりスプロールで切っていたし、組みつかれても立ちレスで脇を差してグラウンドの展開を最小限に抑えていた。しかし、そうした相手が練ってきた対策の上を行ったのが、「打撃でも一歩も打ち負けない」という気迫にあふれた藤井選手のスタンドの打撃だった。
むしろ石岡選手のほうが気押されているイメージすら抱いてしまったほどだ。相手の土俵で精神的な優位を一切与えなかった藤井選手の、勝ちへの貪欲さこそが女子格闘技界において“孤高の先駆者”と呼ばれる所以なのだろう。
けれども石岡選手はこの試合を通して、近い将来、本当に藤井選手たちに“世代交代”を突き付けるファイターになりうる可能性を見せてくれた。藤井選手と闘って負けはしたが、いまはそうした結果よりも、遥かに得られる経験のほうが大きいに違いない。
大会後、sherdogの某記者は「この試合は藤井選手にとってリスクしかない試合。よく受けたね」という感想を漏らしていたが、藤井選手にとっては確かに勝って当たり前かもしれないが、そういう環境の中で「むしろ自分に勝ってほしい」と藤井選手が言った言葉を忘れず、石岡選手はまた自分を磨いていってほしい。
男ほどの激しい言葉のやりとりがあるわけではないが、この試合には藤井選手の、相手を包み込むような思いと勝ちを手にするために必要な意欲が存分に込められていた。女子格闘技の魅力とは、本能的に勇猛果敢に攻めまくる男子格闘技の世界とは一風違って、こうした側面のことを言うのかもしれない、そう思いながら帰途に着いた。
破壊王2世がZERO1のスタッフに?
2009.07.02 Thursday 00:47 | 日本格闘技
昨日は、ZERO1の新宿FACE大会に行って来たのだが、曙の火祭り参戦発表、高西翔太の復帰宣言、火祭り残り一枠をかけたワンデイトーナメントの発表など、いろいろなサプライズを丁寧に仕込んであって非常に印象がよかった。メインの崔領二 vs 田中将斗の試合も崔領二の成長もあって熱くていい試合だった。会場に来られた観客は満足したんじゃないだろうか。
個人的には故橋本真也さんの長男・大地くんがZERO1のジャージを着て、リング周りで場外乱闘の際の観客への対応や雑用などをこなしていたのが印象に残った。たしかに以前から大地くんはプロレスラーになることを明言していたが、実際にZERO1の興行でスタッフとして運営に参加しているという事実は知らなかった。
大地くんは高校生で柔道をしているとは聞いていたが、まだまだレスラーになるには身体の線が細すぎるので、すぐにデビューどうこうはないのだろうけど、橋本二世がデビューするという夢が少しずつ現実に近づいているのかと思うと、不思議な感じがする。メインの試合で崔領二と田中将斗が激しい攻防を繰り広げているときには、グッと拳を握り締めて試合に見入っていた。破壊王の魂は少なからず、大地くんの心に宿っているのかなと、しばし夢想した。
6.30『DEEP 42 IMPACT』
2009.06.30 Tuesday 23:56 | 日本格闘技
後楽園ホールで開催されたDEEPを観に行った。報じられているように、非常に長い興行で観ている人が根負けしそうな大会だった。
個人的に一番気になっていたのは、韓国時代からずっと観ているRYO選手だった。金的が3度も入ったのはかわいそうという他ないが、試合では最近打撃の習得に集中しているベルナール・アッカ選手に対してほとんどフットワークを使わず、パンチの有効打で上回って見せたのはさすが。昔からパンチの当て勘はいいと言われていたが、的確にヒットさせるセンスはなかなかのもの。判定決着だったものの、3Rの最後に相手のバックを取ると、すかさず弟の崔領二選手から「ジャーマン行け!」の声に迷わず反応し、投げっ放しのジャーマンを決めての判定勝ち。弟からプロレスラー魂を注入されているだけあって、豪快な試合を見せていた。
昨年はミドル級トーナメントの1回戦で松井大二郎選手、リザーブファイトで桜井隆多選手にいい内容で闘いながらも判定負けしていたが、今年は厳しい内容でも競り勝てる粘り強さが出てきた。今年はミドル級の主力選手と対戦する機会も増えてくるのではないだろうか。さしあたっては桜井隆多選手と押し気味の試合をして引き分けた金原弘光選手か中西裕一選手との試合が観たいところ。
試合後は兄弟揃っての写真を撮らせてもらいました。仲のいい兄弟で崔領二選手が「ジャーマンは作戦通り。バックとったら行けって言ってました」と言ったものの、RYO選手本人は「いやあ、練習してなかったんで、自分も頭を打って痛かったです。今日は勝ちに行ってたんですけど、最後に大技を見せられてよかったです」と笑顔で語っていた。RYO選手は翌日の7月1日、弟の崔領二選手の出るZERO1新宿FACE大会を観にいくことになっているのだとか。
メインは福田力選手の判定2-1勝ち。中西選手は相手のタックルを切り続け、ミドルキックと懐に入らせない回転の速いパンチでポイントを稼ぎ続けて判定勝ち、悪くてもドローか……と思っていたらスプリット判定で福田選手の勝利。前に前に出る福田選手の姿勢が評価されたのだろうか。
大会のベストバウトは宮田和幸 vs 山崎剛戦。技術の山崎剛選手を身体能力と運動量で宮田選手が圧倒していたのが印象的だった。またセミ前の金原選手の試合も胸が熱くなった。テイクダウンされて、不利なポジションが続いても我慢強く凌ぎ、2R以降、相手のスタミナが切れたところを怒涛の攻めで追い上げたのはさすがベテラン。一時期気力が落ちて結果も付いてこなかったが、最近は精神的に活力もみなぎっていて、会場をおおいに盛り上げる試合を続けているので、まだまだ現役で闘ってほしい。
■最後に3年前に『スピリットMC 8』で実現したBJペン道場所属のマイク・アイナとRYO選手の試合を紹介。
NKB観てきた
2009.06.12 Friday 08:48 | 日本格闘技
今日は小野瀬邦英プロデュースのNKB後楽園ホール大会を観てきた。K-1以外のキック系の観戦は久しぶりだったが、メジャーイベントではあまり感じられないナマの感情が感じられて非常に新鮮だった。
かつてのプロレスもそうだったが、大会は技術もスタミナもない新人がガチャガチャとパンチを振り回すドタバタした前座から始まる。試合が進んでいくにつれてだんだんと選手の実力やテクニックも向上し、試合のクオリティも徐々に上がっていく。セミやメインに登場する選手たちには、会場全体を盛り上げる力量と魅力があり、大会全体のパッケージとして古典的ともいえる段階的組織構造できていて、ちょっとした様式美さえ感じた。
前座の選手の試合は、失礼なのは重々承知ながらも、つい「ホンットに下手クソだなあ……」という思いがよぎる。だが、現在メインを張るスター選手たちも、このような泥臭い過程を通ってみんな大舞台を踏んだのだ。そして、観客もまたデビュー間もない新人のドンくさい姿を見守っていたからこそ、彼らが大きく成長していったとき、大きな思い入れをもって応援できるのだ。それはどんなスポーツでも、奥深く楽しむ方法の一つに違いない。
プロレスでたとえると、30代の我々が新日本プロレスの中邑真輔や後藤洋央紀、棚橋弘至といった選手がトップを張っているのを見て、どこか心の中でおもしろく感じ、「まだ顔じゃねぇ」と言いたくなるのと似ている気がする。メジャーの舞台に突如として舞い降りた超新星や天才児は、センセーショナルで華やかではあるが、何の色も付いていないために古くからのファンにとっては感情移入しにくいのだ。それは我々が彼らの成長物語を充分に目の当たりにしていないからである。
もちろん、マスクもよくスタイリッシュな新世代のレスラーたちが若い女性層を中心に支持を得ていて、団体の運営に貢献していることはわかる。それはわかるのだが、会場ではどうしても古くから見ている永田さんや天山、中西といった選手のほうに感情移入してしまう。さらに時代を遡れば、後塵を拝してきた長州力が藤波に噛みついた事件や“前座の鬼”として長年不遇の時期を過ごした藤原喜明が長州力を襲撃したことに乗れたのも、そこにはレスラーの鬱屈した感情がリアルに発散されていたからだ。
90年代には、永田、天山、中西の世代でさえも、いまの棚橋、中邑の世代と同じように見ていた。「おまえら顔じゃねぇ」と。だが、最近になって彼らに思い入れを持てるのは、我々が彼らの成長物語を知っているからだ。素材は最高なのに、不器用でなかなか芽が出ず、K-1に出て惨敗するなど、迷走した期間の長かった中西学、総合格闘技でヒョードルやミルコにアッサリ秒殺されて強さの幻想が吹き飛んでしまった永田さん、大一番でコケたり悪役を演じようとしても“いい人”を隠せない天山……。レスラーとして彼らの紆余曲折を知っているからこそ、彼らから人間臭い魅力を感じるのだし、不遇の時代や失敗そのものが彼らを観る上でのスパイスとなり、レスラーの年輪そのものがドラマとなる。
最近では新日本プロレスや全日本プロレスも、第一試合から派手な技を見ることができるし、単なるメインクラスのカードを盛り上げるためだけの試合ではなくなっている。いまや“前座”ではなく、単なる“第一試合”になっている。そういった現在の形式を否定するつもりはないが、“タメ”が効いていないと爆発の規模も弱まってしまうのではないかとも感じたりする。『DREAM.9』での所英男の復活に心から感動したのも、彼のここ数年の低迷と、その中であがき続けた彼の姿があったからだ。
NKBの会場には、自分がかつて観ていたプロレス会場でのピラミッドが存在していたし、観客の多くは選手の身内や友人ばかりで、リングの上にいる“俺たちの選手”の攻防に一喜一憂し、大声援を送っていた。選手もその応援に熱いファイトで応え、会場は熱のある空間となっていた。初めて観る選手ばかりであったが、セミ、メインの試合になる頃には、自分の気持が自然と高揚していくのを感じていた。メジャーイベントで選手が激しい試合をしていても、妙に静かでセコンドの声だけ鳴り響く寒々しい光景とは正反対の風景がそこにあった。
試合を見ながら、昔、自分がキックでは日本キック連盟が一番好きだったことを思い出した。スター選手が多くいて、打倒ムエタイとの試合を掲げていた新日本キックや全日本キックではなく、なぜか自分は泥臭くてマイナー感の漂う日本キックの試合を好んで観ていた。それは日本キックのマイナー感に惹かれたわけではなく、かつてのパリーグのように親身になって応援できる選手たちとファンの距離感が好きだったのだ。
自分は日本キックの舞台でうんざりするほど何度も行なわれた小野瀬 vs ガルーダテツの抗争も「またやるのかよ」と思いながらも楽しんでいたクチだが、現在彼らは引退してトレーナーとなって自分たちのジムを開き、愛弟子を育ててリングで闘わせている。
決してオーソドックスではなかった小野瀬やガルーダと同様、彼らの育てる選手は型にはまらず、ノビノビとした闘い方をしており、個性的で魅力的だった。とくに滑飛タイジ選手は、小野瀬、ガルーダらがもっていた泥臭さに加え、目を奪われるような華やかさがあってすぐに好きになった。
現役時代は小野瀬に負け続けたガルーダテツの愛弟子が小野瀬のファイターたちをなぎ倒す――。師匠と弟子の二世代にわたるライバル構造がいまも楽しめるなんて、昔から見ているファンにとっては贅沢なことである。現役を引退しても彼らが自分たちが作った世界を別の形で守り続けていることに、団体やこのスポーツに対する愛情が深く感じられたし、選手の歴史というものは、現役を引退してもそれで終わりではないということに気付かせてくれた。
すべてが洗練された選手たちばかりで構成されるメジャーイベントも楽しいが、ピラミッド型のヒエラルキーの中で選手の息の長い成長物語を見守るのもまた味わい深い。この日は、いつまでも変わらないスポーツの楽しみ方をあらためて教えてもらった気がした。